NEWS2024.8.1第73回別府大分毎日マラソン大会 大会要項を発表しました
2024.12.19
12月19日 「参加ランナーの皆様へVer.1」を大会ホームページに掲載しました2024.12.19
12月19日 カテゴリー2~4の参加選手を大会ホームページに掲載しました2024.12.2
カテゴリー1 本日(12月2日)、17時に締め切りです!2024.11.29
カテゴリー1 12月2日17時がエントリーの締め切り日です!2024.11.5
二次募集を締め切りました2024.11.4
明日(11月5日10時~)二次募集の受け付けを開始します。定員50名、先着順2024.10.28
二次募集について 11月5日(火)10時~受付開始2024.10.23
明日(10月24日)カテゴリー4当選者の方の入金締切日です2024.10.22
カテゴリー4当選者の方は10月24日までにご入金をお願いいたします!2024.10.17
カテゴリー4 当選者をRUNNETで発表しました別府大分毎日マラソン大会(当時は別府マラソン)は戦後復興期の1952年、五輪代表候補のコーチを務めていた大分県中津市出身の池中康雄氏(故人)が「五輪への道を開くためにも地元で全国大会を開催したい」と提唱して創設。当初は別府駅前をスタートし、大分市白木を折り返す35キロのコースだった。翌53年の2回大会からフルマラソンに衣替え。46年スタートの「びわ湖毎日マラソン」(当時は毎日マラソン)、47年に始まった「福岡国際マラソン」(当時は朝日マラソン)と共に、日本三大クラシックレースと呼ばれるようになった。
63年12回大会では寺澤徹(倉敷レ)がアベベ(エチオピア)の記録を0秒4上回る2時間15分15秒8の世界最高記録を樹立。この記録は国内レースで日本人選手が記録した最後のマラソン世界記録となっている。寺澤はその後、15回大会まで4連覇を成し遂げた。
67年16回大会では君原健二(八幡製鉄)が2時間13分33秒4の国内最高、78年27回大会では宗茂(旭化成)が2時間9分5秒6で優勝し、日本人で初めて「10分の壁」を破った。
84年33回大会から大分市営陸上競技場を発着するコースに。91年40回大会では森下広一(旭化成)が初マラソン記録を大幅に更新する2時間8分53秒で優勝し、92年バルセロナ五輪の銀メダルにつなげた。
2001年50回記念大会からは世界選手権の選考レースに。10年59回大会から大分市の高崎山・うみたまご前をスタートし、大分市営陸上競技場にフィニッシュするコースに大幅変更。翌60回大会からは参加資格をマラソン3時間30分以内に緩和し、女子選手にも門戸を開いた。
12年62回大会では川内優輝(埼玉県庁)と中本健太郎(安川電機)が28キロ過ぎから40キロまで激しいデットヒートを展開。川内が17年ぶりに大会記録を塗り替える2時間8分15秒で優勝、中本も自己ベストの2時間8分35秒で2位に入り、ともに世界選手権代表の座を射止めた。
16年65回大会では、大分市内の袋小路の解消と終盤の高低差を減らして好記録の出やすいコースに変更。リオデジャネイロ・パラリンピックの視覚障害者マラソン代表選考会も併せて開催した。
17年66回大会では34歳のベテラン、中本健太郎(安川電機)が2時間9分32秒の好タイムで初優勝を飾った。中本はマラソン14回目にして初の頂点。世界選手権ロンドン大会の代表にも選ばれた。
18年の67回、19年の68回大会は2020年東京オリンピックの日本代表選手選考会「マラソングランドチャンピオンシップ」(MGC)への出場権を獲得できる「MGCシリーズ」に指定され、園田隼(黒崎播磨)ら4人が出場権を獲得した。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、規模縮小での開催となった70回記念大会は、「ジャパンマラソンチャンピオンシップ」のグレード1レースとして実施された。西山雄介(トヨタ自動車)が2時間7分47秒の大会新記録で優勝。2022年世界陸上競技選手権大会のマラソン男子日本代表にも選出された。西山の外にも、6人がMGC出場権を獲得するなど、好記録が続出した大会となった。
23年の71回大会では、イブラヒム・ハッサン(ジブチ)が2時間6分43秒で優勝し、別大史上初の2時間6分台を記録した。
これまで、谷口浩美や森下広一、足立知弥(いずれも旭化成)らが初マラソン初優勝を飾るなど、「新人の登竜門」と称されることも多い。